子どもを褒めることって正しいの?「褒める」「叱る」前に大事にしたいこと

家庭教育
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近年「子どもを受け止めることや認めることの大切さ」について書かれた本や育児書が多くみられます。
主婦向けの雑誌でも、「子どものいいところを褒めましょう」「子どもは認められることで自信を持つことができます」といった内容も多いですねよ。
けれど一方で「褒めてばかりではいけない」とか「褒めてばかりだと小さなつまづきで立ち直りにくい」という言葉もちらほら。
どうしたらいいのかわからなくなってしまいますよね。

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褒めることは大事だと思うのなにかにしっくりこない・・・

私自身、子どもを認めいいところを叱るより褒めて伸ばしていきたいと思って育児をしてきましたが、なんだかしっくりきていなかったのです。
褒めたり認めたりすることは大切だけれど、褒めることが目的ではなくて褒めることでより親が思う方向に誘導しているんじゃないかな?という思いがどこかにありました。
けれどじゃあどうすればいいかと考えても答えがでないままでしたが、実家に帰省中、教育実習時代の先生からの手紙を読み返し、ハッとしたのです。

子どもを“見取る”

先生からの手紙の一部にはこんなことが書いてありました。

「・・・子どもを見取る力があります。伸ばしてあげられる力があります。・・・」

もちろん実習の最後に頂いた手紙なので私にそんな力があったわけでなく励ましなのですが、その一文から「子どもを伸ばす前に必要なのは見取ること」だと言われているようでハッとしたのです。

先生って子ども達と遊んだり、困ったことを助けてくれたり、にこにこ保育をしているイメージがありましたが、その裏には必ず「見取り」があります。
「見取る」とは子どもの表情や行動、しぐさや雰囲気などから、その子の心の在り方を理解することです。
そこに「願い」(この子には今こんな力をつけて欲しいという目標)が加わることでより良い「保育」になると私は思っています。

子育てにも“見取る”という視点を取り入れよう

では家庭で子どもを褒めるときの親はどうでしょう?
褒めるということは親の思う「願い」通りの姿だからですよね。
そこに「願い」は必ずあります。

では「見取り」はどうでしょう?
私にはこの見取りが欠けていたように思うのです。
もちろん子どもは褒められるとうれしいので褒めて欲しいと思っている、と親は感じていることが多いと思います。
けれどもっと深く「今どんな気持ちでいるのか?」「いつ声をかけて欲しいと思っているのか?」「どんな点を見て欲しいと思っているのか?」など掘り下げて「見取る」ことをないがしろにして親の思うままに褒めても、子どもに響くはずはありません。
だから褒めることが子どもの為でなく親のエゴのように感じていたのだと気づきました。

これは叱るときや慰めるときなどどの場面でも言えることです。
もし子どもに褒めたり叱ったりするときに「子どもに伝わっていないんじゃないかな?」「なんだか心に届いていない気がするな」というときに、子どもの見取りがしっかりできているか振り返ってみると、また違った対応ができるかもしれません。

私も自分のイライラで子どもに優しく関われなかったり、自分のことで精いっぱいで子どものことを考えてあげられないことが多いので、常に願いを持ちながら見取って関わることは不可能だと思っています(苦笑)
もっと言うなら、保育中、常に願いを持ち、見取り、手立てを考えてくださるのがプロであり専門職である先生です。
けれど私たち親は、家庭でも家事などしなければいけないこともあるし、常にそんなことはできません。
けれど心の余裕があるときには、このことを思い出して、子どもの心に寄り添える親でありたいなと思うのでした。

・・・となんだかつたない文章で真面目に語ってしまいました(^_^.)が今の私の気づきでした♪

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